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津田梅子의 가치관 패러독스[편집 | 원본 편집]

2.1.1節と2.1.2節の梅子の手紙は、この時点で、梅子自身のアイデンティティに「揺 れ」がみられることを証明してくれる。最初に引用する日本社会での女性についての手紙の中で、 日本女性である梅子自身が、困難な状況におかれた日本女性たちを何度も「あなたたち」と呼び、 日本女性を「他者」と捉えていることがわかる。また米国で見聞きした日本女性の情報をもとに、 米国中産階級の人々と同じ視点から日本女性たちを語る梅子に、異文化受容のパラドックスを見 ることができる。次の梅子の手紙は、クリスチャンである梅子のキリスト教宣教師に対する批判 が書かれてある。米国人宣教師が日本人を見下すことに憤慨する梅子が、非西洋人である朝鮮人 に対して見下すような口調で語るところに、梅子自身の異文化受容のパラドックスを垣間見るこ とができるのである。

2.2.1.1883(明治 16)年 3 月 18 日の手紙

One thing, when I see or talk to the missionaries and foreigners in general, but Americans in particular, is their excessive narrow-mindedness, and their want of appreciation of anything whatever good in Japan or anywhere outside of America and American ways. I like America, but I must allow at least a few things superior in Japan, and I am sure, one who had seen neither one country or the other, and who could be an impartial judge, would be in favor of one as much as the other. … And yet all the foreigners like nothing Japanese, and think American everything is unsurpassable. They truly look down on us, and it makes me very furious.… (Furuki et al., 1991, p. 51) 34

「彼らは日本のものは何でも嫌いです。日本人を見下しています」というように、米国人宣教師 たちの白人文化中心主義的な態度と日本人を「他者」として捉える視座に悩み、憤慨し、アデラ イン・ランマンへ、その憤りを伝える手紙を何度も梅子は書いている。


2.2.2.1883(明治 16)年 9 月 30 日の手紙

父が帰ってきました。2、3日前に、思ったよりも早く着いたのです。朝鮮についてと ても興味深くおもしろい話をしてくれました。いくつかの点では、動物の方がこのような 汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには本当に野蛮な人びとがいるのです。 彼らは衣服や食料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです。家は掘っ 立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。寝食や労働のために一つの 部屋からでることもせず、下層階級の人びとだけが日中、日光にあたるくらいのものです。 …彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚くそして粗野なのです。…父が私に朝鮮について多 くのことを話してくれました。あなたの記事のために、聞いたことを書いてまとめたいと 思います。きっと、とても関心をもたれると思いますので、書いたら送ります。ある意味 で、世界で最悪の国のように思われます。日本で出会った朝鮮の人たちは、人間的にも精 神的にも日本人の特徴ととても似ていて、善良で知的で頑強な男性に思われたのですが、 どうして人間がそのようになれるのか驚きです。(高橋、2002、pp. 188-189)

一方、梅子の父・仙の朝鮮訪問から見聞きした朝鮮人に対しての描写から、米国人宣教師が 日本人を見下すのと同じ視座で、朝鮮人を見下す梅子の視座が見られる。米国人宣教師が日本人 を侮辱的に「他者」として捉えていたことに憤慨していた梅子自身が、朝鮮の人々について、自 文化中心的な態度をとっているということになる。


3.1.1.多民族国家米国について

筆子の 1889 年の米国の多民族国家米国の実態を述べながらも、その多民族国家のマネージメ ントの困難さを指摘している。特に興味深いのは「質の悪いならず者を受け入れることの難しさ」 を強調しているところである。

而してその大増加中、この大国の主動者にして建設者たる、アングロサクソン人種や、 フランス人の子孫は比較的少数で、あるいはドイツ、あるいはイタリア、あるいはオラン ダなどの国々から入込んだ者や、ユダヤ人の子孫が多い上に、年々歳々新しく移住し来る 者がまたおびただしいとの事でございます。

而してこれ欧州人種の外に、アメリカンインディアンと称ふる、土着の人種と奴隷とし て初め買ひ込まれたアフリカ人の子孫も大変に多いので実に種々雑多、ありとあらゆる世 界の人種が寄り合って成立って居る如何にも珍しい国柄でございます。

又これらの新しく他国から移住する者は大概自分の国で困りはて、「米国へ行って、一働 き」と云った様な労働者や、もっともっと質の悪いならず者が入り来るそうでございます。 「このように世界の屑みた様なものまでも負ひ込んで、どうしてよなげるのだらう、而し て『我は米国人なり』との、誇の種をどうして蒔き、夫をどうして涵養する事が出来るの だらう」と実に不思議に思ひました。(石井、1942、p. 78)

上記の引用の多民族国家米国についての語り口の中に、確かに、筆子の「人種」・「階級」・「国 籍」へのまなざしが発見できる。特に、移住者を周縁に位置づけ、「このように世界の屑見た様な もの」と言い切る筆子の視座は、まさに白人中産階級以上の視線と同じものがあり、津田梅子が 朝鮮人に抱いた侮辱のまなざしと共通するものが感じられる。人間はそれぞれ異なっていると考 える前に、民族・国籍でひとくくりにしてしまう所に、2 人の限界が感じられるのである。

Kyushu Communication Studies. 2006. 4:30-40 ©2006 日本コミュニケーション学会九州支部

【 研究ノート 】 近代化の歪みに挑んだ明治の女性たち 1) ―津田梅子と石井筆子の異文化受容のパラドックス― 清水孝子 (日本文理大学)


사설[편집 | 원본 편집]

「彼女(前任者)は多分月に75ドルはもらっていたはずです。それなのに私は15ドル……誰かがその差額をものにしているに違いありません」。こう米国人教師との露骨な差別待遇を怒っているのは津田梅子(つだ・うめこ)である。

▲津田塾大を創設する梅子が米国から帰り、米人宣教師の学校で教えた時である。若き梅子は日本人生徒や教師の粗末な待遇と宣教師のぜいたくな生活の落差に憤った。自分が5000円札の肖像になる未来はもちろん夢にも知らない。

▲「彼が月給80円なら、せめてそれ以上に……」。東大医学部卒はすぐ月給200円の大病院の院長になれた当時、同70円の内務省衛生局に入った北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)の局長への要望である。彼とは4歳年下で福島の医学校卒の後藤新平(ごとう・しんぺい)だった。

▲ペスト菌発見の偉業をなす柴三郎は学費を自分で稼いだ苦学生で、当時30歳だった。収入より社会貢献を選んだ彼も俸給の「格下」には抵抗したが、結局は規定を受け入れた。1000円札になる偉人にもお金をめぐるドラマはある。

▲一方、お金との縁の深さでは群を抜く実業家の渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)である。明治新政府の大蔵省で近代貨幣制度発足にかかわり、実業界に転じて日本資本主義の父といわれた彼は、現在の1万円札の“主”、福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)と将棋を指したことがある。

▲諭吉がこの時「商売人にしては割合強い」と口の悪いところを見せると、栄一は「ヘボ学者にしては強い」と応じた。この2人の間の1万円札の代替わり、キャッシュレス時代にどんな様相を見せるのか。

도보시오[편집 | 원본 편집]

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  • 1960년 말리연방으로 독립했을 때 국기의 중앙에 있던 흑인상(黑人像, kanaga)은 세네갈이 연방에서 탈퇴하면서 인간 형상의 우상을 없애라는 이슬람교 세력의 압력으로 인해 1961년 3월 1일에 없앴다. - 두산백과
  • 카나가란 도곤족의 가면춤에 사용된 복십자 형태의 가면으로, 위의 십자가는 하늘을, 아래 십자가는 땅을 의미한다.
Dahomey kingdom flag simple.png
Dahomey kingdom flag.png
  • 다호메이 (Dahomey)는 약 1600년부터 1904년 사이 오늘날 베냉 지역에 있었던 아프리카의 왕국이다. - 위키백과